変わる! 歴史教科書の常識
「イイクニつくろう鎌倉幕府」。
お馴染み、鎌倉幕府成立の年代暗記法です。みなさんもテスト前に覚えた記憶があるでしょう。
でも現在の教科書では、これは間違いです。鎌倉幕府の成立は、もっと前だと考えられているからです。
「鎌倉幕府成立はいつか?」について、歴史学では次の7説があります。
A. 1180年 東国軍事政権の成立。
B. 1183年 寿永二年十月宣司による、源頼朝東国支配権の確立。
C. 1184年 公文所・門注所の設置。
D. 1185年 守護・地頭の設置。
E. 1190年 源頼朝の右近衛大将就任。
F. 1190年 源頼朝の日本総追補使・総地頭の地位獲得。
G. 1192年 源頼朝の征夷大将軍就任。
私たちが中学で習ったのは、G説です。
しかしこの説、今では、ほとんど支持されていません。
最も有力なのは、D説です。
鎌倉幕府の本質的支配が「守護・地頭の設置」によって始まったと言えるからです。そのため、現在の歴史教科書ではD説に沿った説明に変わっています。
この例から分かるように、時代の区分は「表面的な出来事」によってなされるのではありません。
時代の本質的特徴を生み出した要因は何かが重要なのです。教科書の内容の変化は、歴史学の「研究成果の進歩」によって行われていると言えるでしょう。
2つ目の事例です。
次の2つの肖像画を見て、(ア)は源頼朝、(イ)は足利尊氏と思う人は多いでしょう。昭和の歴史教科書では、そう紹介されていたからです。

(ア)

(イ)
しかし現在の教科書では、(ア)は「源頼朝と伝えられている肖像」とされ、(イ)は削除されています。
それは肖像画に描かれた人物を、はっきりとは特定できなくなっているからです。
これは肖像画研究の進歩によるものですが、より大きくは歴史学の「研究方法の進歩」が原因です。
昭和時代の歴史学では、史書、古文書、手紙や日記など、主として文献を手がかりに研究していました。
「文字」を書けるのは主に支配者です。支配者の残した文献だけに頼れば、偏った歴史が出来上がってしまいます。
そのため、民衆の歴史も含めた歴史の全体像の解明が必要だと考えられるようになりました。そこで現在の歴史学では、絵画、民俗史料などの「モノ」を手がかりとした歴史研究が進んでいます。
歴史教科書の内容の変化は、歴史学の「研究方法の進歩」によっても起こっているのです。
なぜ、今、歴史の常識が変わっているのか?
2つの事例をもとに「歴史の常識が変わっている」ことをお話ししました。
この変化は、①歴史学の「研究成果の進歩」と、②歴史学の「研究方法の進歩」によるものです。
この2つは絡み合って歴史研究に進歩をもたらしてくれます。特に「モノ」を手がかりとした歴史研究は、民衆の文化創造力に光を当てます。
そして「政治・経済・文化」という観点を変革し、新たに「民衆」の観点から歴史を考えるようになったのです。
例えば、次のような見方です。
〈 新たな民衆像 ① 〉
(旧) 縄文時代、人々は常に獲物を追って移動し、ひもじい生活を送っていた。
↓
(新) 青森県の三内丸山遺跡などの発見から、人々は大規模な住居に長期間定住し、共同生活を送りグルメな食事をしていた。
〈 新たな民衆像 ② 〉
(旧) 「慶安の御触書」から、人々は生活の細部まで統制された苦しい生活をしていた。
↓
(新) 御触書の存在自体が、否定されている。木綿地の衣類、喫煙が禁止されていたということは、逆にそれらが民衆に普及していたことを示している。
〈 中央中心史観の是正 ① 〉
(旧) 坂上田村麻呂を派遣して、蝦夷を討伐。
↓
(新) 蝦夷は、独自の文化圏を形成していた。奥州平泉や琉球など、地方文化圏の独自性を評価。
〈 中央中心史観の是正 ② 〉
(旧) 明治政府の屯田兵派遣で、北海道開拓が進む。
↓
(新) アイヌの人々の強制労働の存在。江戸時代以前から続く、アイヌ文化の存在の重視。従来の日本単一民族観の修正。
〈 未来志向の視点 〉
現在の歴史教科書で新しく登場した視点に、「環境」「福祉」など未来社会に通じる視点がある。
変化を楽しむ方法
「歴史の教科書には主語がない」というのを御存知でしょうか?
本来は「過去は〇〇であった(と解釈できる)」と、( )の部分を書くべきところなのに書いていないのです。これが学校の歴史学習を面白くなくしている大きな原因です。
私たちには、過去を自由に解釈する力があります。
講座では歴史の受け身的学習から、歴史像の主体的創造者へと変わることで歴史解釈の変化を楽しむ方法をお話しします。
( FBCラジオ放送講座いきいきセミナー「歴史の常識が変わる!!」 2016年8月21日 より )